#ファミリー #信濃追分駅 歴史

    信濃追分駅 百歳おめでとう!

    一世紀にわたって鉄道と人々を見守り続けています

    10月7日(土)・10月8日(日) 10:00~15:00頃
    終了しました
    民営鉄道では最高所にあるしなの鉄道「信濃追分駅」。
    標高955mの浅間山を望むこの駅は、2023年10月に満100歳を迎えます。

    イベント内容

    10月7日
    11:00 国鉄形駅名看板贈呈セレモニー
    軽井沢町商工会西軽井沢支部→しなの鉄道社長土屋智則様へ

    駅臨時窓口開設(10時~14時)
    硬券記念入場券、乗車券販売
    駅名板プレート、鉄道部品販売

    駅舎ギャラリー
    「池田陽子が見た昭和の信濃追分駅」写真展
    「駅舎百年の歴史」展示
    「高原の駅よ さようなら」DVD上映(予定)

    駅マルシェ
    あたら会オリジナルグッズ、鉄道本など、野菜販売

    駅舎カフェ
    飲み物販売
    「信濃追分駅弁高原花豆おこわ弁当・くるみおはぎ」販売

    プラレールで遊ぼう
    (955ステーション)

    「馬子唄」披露
    10/8 14:30

    記念冊子発行
    「百歳の信濃追分駅」(仮)
    ・信濃追分駅の写真
    ・『信濃追分の今昔をきく』で古老が語った「追分駅のおいたち」
    ・文学作品や歌に残された駅の風景「信濃追分駅文学スケッチ」
    ・地元の方々に聞く「それぞれの駅物語」など

    信濃追分駅の歴史

    日本で最初の鉄道が1872(明治5)年に開業しました。
    東京-大阪を結ぶ幹線鉄道が計画され、当初は中山道ルートが採用されました。
    しかし、急峻な碓氷峠に阻まれ、現在の東海道ルートに変更されます。

    直江津-軽井沢間は1888(明治21)年開業

    中山道ルートはその後、太平洋側と日本海側を結ぶ本州横断鉄道の一部という位置付けに変更され、建設がすすめられます。
    直江津-軽井沢間が開業したのが1888(明治21)年です。
    当時、御代田-軽井沢間には駅がありませんでした。

    軽井沢-横川間は1893(明治26)年開業

    この開通により、東京~群馬~長野~新潟が直結しました。

    夏季臨時停車場が1909(明治42)年開業

    鉄道の開通により追分宿は廃れました。
    それを見た鉄道省の高官が、1909(明治42)年に夏季臨時停車場を設置。
    清涼な空気のもとで勉学に励む学生を誘致し、追分宿を活気づけるねらいでした。
    これが信濃追分駅のルーツです。
    当初は、現在より御代田側の坂の上にありました。

    信濃追分駅が1923(大正12)年開業

    夏季臨時停車場が現在の地に移されて、正式な停車場に昇格しました。
    信濃追分駅の開業です。

    開業当時に建てられた駅舎が今も残る

    現在の駅舎は開業当時に建てられたもので、切妻屋根の木造平屋建て。
    当時の小停車場の標準設計図に沿って、待合室、駅事務室、炊事場、宿直室の間取りがそのまま残されています。
    この駅舎でたくさんの駅員さんが、昼夜にかかわらず走る列車を見守ってきました。
    (上の写真は昭和50年頃のもの)

    かつて日本の大動脈だった信越本線

    当時の駅舎がそのまま残る信濃追分駅は、当時の情景に思いをはせることができる場所となっています。

    信越本線

    中山道、善光寺街道、北陸道にそって走る路線です。
    東京から高崎駅-長野駅-直江津駅などを経て新潟駅に至っていました。

    1997年(平成9年)10月1日に北陸新幹線が開業。
    軽井沢駅-篠ノ井駅間は、第三セクターのしなの鉄道に経営が移管されました。
    碓氷峠を越える軽井沢駅-横川駅間は廃止になりました。

    駅にまつわる思い出話や写真を募集します

    イベントに伴い、駅にまつわる思い出話や写真を募集します。
    下記メールアドレス、当サイトお問い合わせフォーム、インスタグラムのメッセージよりお気軽にお寄せください。
    お待ちしています。

    あたら会事務局
    ※募集は終了しました

    国鉄形駅名看板贈呈セレモニー

    信濃追分駅弁

    駅マルシェ

    基本情報

    名称
    信濃追分駅
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