大日向は、旧満州に開拓団として渡り、戦後に引き揚げた人たちが入植し、開墾た地区です。
開拓団は、南佐久郡の旧大日向村(現・佐久穂町大字大日向)の村民でした。
満州で生活をしていた人々は、45年の敗戦で引き揚げました。
引き揚げの途中、寒さや飢え、疫病などで多くの犠牲者が出ました。
やっとの思いで46年に帰国しましたが、すでに故郷の旧大日向村に住む場所はありませんでした。
満州で生活をしていた人々は、45年の敗戦で引き揚げました。
引き揚げの途中、寒さや飢え、疫病などで多くの犠牲者が出ました。
やっとの思いで46年に帰国しましたが、すでに故郷の旧大日向村に住む場所はありませんでした。
昭和22年2月、軽井沢町追分地区の国有林の払下げを受け、入植しました。
そこは標高1200m、600haのカラマツ林でした。
人々は再び「大日向」と名付け、開拓を始めました。
人力によるカラマツの伐採・伐根、火山灰や石、砂の多い土地の開墾という苦難の開拓事業でした。
そこは標高1200m、600haのカラマツ林でした。
人々は再び「大日向」と名付け、開拓を始めました。
人力によるカラマツの伐採・伐根、火山灰や石、砂の多い土地の開墾という苦難の開拓事業でした。
入植間もない昭和22年10月、昭和天皇の巡幸がありました。
翌23年正月に御製を発表されました。
その感激を伝える碑が、大日向地区にあります。
「浅間おろし
強き麓(ふもと)に
かへりきて
いそしむ田人
たふとくもあるか」
翌23年正月に御製を発表されました。
その感激を伝える碑が、大日向地区にあります。
「浅間おろし
強き麓(ふもと)に
かへりきて
いそしむ田人
たふとくもあるか」
2年目にはそば、カボチャ、じゃがいもを、3年目には陸稲、高原野菜を育て、その後酪農を取り入れました。
昭和25年に、旧軽井沢にある聖パウロ教会のカトリック神父、コンラード・アランゴが村に移住。
親が働くあいだ子供たちの面倒をみ、食事を食べさせ、勉強を教えました。
その後聖ヨゼフ保育園、教会を設立し、開拓は一層前進しました。
昭和26年度に開墾作業が終了となりました。
親が働くあいだ子供たちの面倒をみ、食事を食べさせ、勉強を教えました。
その後聖ヨゼフ保育園、教会を設立し、開拓は一層前進しました。
昭和26年度に開墾作業が終了となりました。
時代がすすみ軽井沢はリゾート地として発展しました。
大日向の人々の多くも、観光業や建設業に転身しました。
現在、切り拓いた農地は別荘地に変わっています。
大日向の人々の多くも、観光業や建設業に転身しました。
現在、切り拓いた農地は別荘地に変わっています。
基本情報
名称
大日向開拓地